社寺建築

出雲大社「平成の大遷宮」を次代にー

出雲大社

社寺建築出雲大社「平成の大遷宮」を
次代にー

縁結びの神として名高い出雲大社。
日本最古の歴史書と言われる「古事記」にもその創建が記されている、わが国を代表する古社です。
そんな出雲大社が2013年、60年ぶりに迎えた平成の大遷宮。
宮大工を起源に持つシミズの威信をかけて、この一大プロジェクトに挑みました。

大切に守り、受け継いできた社寺建築の技術

1804年に江戸・神田鍛冶町で創業し、210年を超える歴史を持つ当社。日光東照宮や江戸城西の丸再建工事など、数々の伝統建築で腕をふるった創業者、初代清水喜助の「匠の技」と「心」を守り、受け継ぎながら、これまで数多くの社寺を手がけてきました。社寺建築のエキスパートとしての誇りをかけて、平成の大遷宮という大任に挑んだのです。

創業者、初代清水喜助

豊富な経験とノウハウ

以前に遷宮が行われたのは60年前。世代が入れ替わってしまったこともあり、正確な記憶も記録も残っていません。解体してみるまで作業の全容すら把握できないのが保存修理の難しさ。専門知識や豊富な経験がなければ、とても務まりません。この一大事業をシミズが任された理由は、まさにここにあると言えます。

社寺建築の豊富な経験とノウハウが生かされた
社寺建築の豊富な経験とノウハウが生かされた
社寺建築の豊富な経験とノウハウが生かされた
社寺建築の豊富な経験とノウハウが生かされた
社寺建築の豊富な経験とノウハウが生かされた

保存修理を通じて先達の仕事に触れる

遷宮と言っても、古い建物を解体し、新たに一からつくり直すわけではありません。歴史的な文化財の保存修理は、前回のやり方を踏襲するのが原則。次世代に記録を残すためにも、材料やサイズを調査、記録しながら丁寧に解体します。いわば以前の遷宮を行った職人の意志を受け継ぐ作業なのです。

解体した材料には、前回の遷宮時の刻印が

長きに渡って風雨から大社を守った大屋根の秘密

出雲大社の修造は、まず「素屋根(すやね)」と呼ばれる覆屋(おおいや)で本殿を覆い、大屋根を飾る「鬼板(おにいた)」「千木(ちぎ)」「勝男木(かつおぎ)」を降ろし、檜皮葺(ひわだぶき)を解体することから始まります。一般的に檜皮葺の屋根は2尺5寸(約75cm)の長さで葺くもの。しかし、出雲大社では4尺(約120cm)、3尺5寸(約105cm)、3尺(約90cm)などの長い檜皮を使用していました。葺厚(ふきあつ)を厚くすることで耐久性を増し、大屋根の寿命を延ばすための工夫がなされていたのです。そのおかげか、大屋根の下地は想定していた以上に綺麗な状態でした。

解体は大屋根の装飾を外すことから進められた
大屋根に使われた4種類の長さの檜皮
板と板をつなぎ、
防水の役目も果たす刻荢(こくそ)

完璧な仕事に残された先達の心意気

檜皮葺の下には三重の板屋根が施され、板の隙間は刻荢(こくそ)と呼ばれる漆を原料とした詰め物で埋められていました。これは、板同士をつなぐ接着剤と防水の二役を果たすもの。神様が暮らす社に、一滴たりとも雨漏りは許さない。大屋根に施された工夫の数々に、先達の心意気が垣間見えます。

檜皮葺の下からは、3重に重ねられた板屋根が現れた

「平成の大遷宮は大したものだ」と

本殿の大屋根だけで約64万枚という膨大な数の檜皮を、一枚一枚、文字通り手で解きほぐすように剥がし、葺き直す。その規模の大きさと、丁寧な手仕事によって整えられた大屋根の仕上げの細かさは圧巻のひと言です。60年後、再び訪れる遷宮の際に「平成の大遷宮は大したものだ」と言ってもらえるように。
美しく葺き直された大屋根を見れば、その思いに偽りがないことは一目瞭然です。

1列に並び、丁寧な仕事で
檜皮を葺いていく
屋根の美しい曲線は檜皮葺ならでは
葺き直された美しい檜皮

伝統を遺す難しさ

大屋根を葺き直すと同時に、「鬼板」や「勝男木」、「千木」などの装飾の修復も進められました。これらの塗装には、今ではほとんど使われていない「ちゃん塗り」という技法が用いられています。古来の技法を踏襲するという原則に従い、事前の調査によって主成分がエゴマ油であることは突き止めたものの、それ以外に何がどの程度の比率で混ぜ合わされているのかがわかりません。当社の現場責任者が幾種類もの配合を試すこと約2年。納期も押し迫った頃、ようやく古文書の中に塗料の主成分や、混入する材料の配合の一部が書かれてあるのを見つけ、再現に成功しました。
先人から引き継いだものを、次代に遺していく。言葉にするのは簡単ですが、それを実行するためには、数え切れないほどの試行錯誤があったのです。

「勝男木」や「千木」の先端に施された「ちゃん塗り」
ちゃん塗りを施すことで銅板を保護している

社寺建築と言えばシミズ、
であり続けたい

工事関係者が力を合わせ、それぞれの持場で最高の仕事をしたことによって成し得た平成の大遷宮。
大事業に挑む人たちの心を一つにしたのは、「後世に誇れるしごとをする」というものづくりに携わる者としてのプライドです。それは、当社が掲げる「子どもたちに誇れるしごとを。」とも符号します。
60年後に誇れる仕事。
平成の大遷宮には、まさにシミズの哲学が表現されています。

平成の大遷宮の担当者

Column

プロフェッショナルの心意気に、縁結びの神様が微笑んだ

本殿の階段を覆う「階隠し(はしかくし)」と呼ばれる屋根。解体中にここの化粧棟木にも破損が見つかり、屋根全体を修復することに。しかし、素材となる国内の松はマツクイムシの食害により壊滅状態。唯一、調達可能なのは東北地方で、岩手県大船渡の製材工場から取り寄せることになりました。ところが、納品予定の3日前に東日本大震災が発生。2週間ほど製材工場とも連絡が取れない状態になってしまい、工期の延長もやむ無しかと思われました。
しかし、関係者の祈りが通じたのか、無事、3月31日に約束の松の木が届けられたのです。
どんな状況にあっても、使命を果たさんとする製材工場の方々の心意気。その強い思いが縁結びの神様を動かし、材料と工事に携わる人々との縁をつないでくれたー。関係者一同、特別な力を感じた出来事でした。

階隠し(はしかくし)

シミズに受け継がれる宮大工の伝統行事「手斧始式(ちょうなはじめしき)」

「手斧始式」とは、大工をはじめとする建築関係者の仕事始めの儀式のこと。古式ゆかしい装束を身につけ、儀式用に仕立てた大工道具を用いて、工事が安全にすみやかに成就するよう、神様のご加護を願います。
現在でも年始に「手斧始式」を行っているのは、世界最古の企業として知られる「金剛組」と当社のみとされています。

まるで舞踊のような美しい所作も、古来より伝承されている
儀式道具は1636年に日光東照宮の本地堂の上棟式で用いられたもの。
幕府作事方大棟梁を務めた甲良家から1928年に当社が譲り受けた

記載している情報は、2017年9月1日現在のものです。
ご覧になった時点で内容が変更になっている可能性がございますので、あらかじめご了承ください。

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