歴史的建造物 ものづくりの原点に立ち返った大規模修理 重要文化財菅田(かんでん)庵及び向月亭ほか1棟保存修理工事
保存修理工事完了後の菅田庵(左)と向月亭(右)
島根県の県庁所在地・松江市。この地には、「不昧(ふまい)公」の名で今でも多くの人に親しまれている松江藩松平家7代藩主、松平治郷(はるさと)が広めた茶の湯文化が根付いています。
治郷の没後200年に当たる2018年、重要文化財菅田庵及び向月亭の保存修理工事が実施されました。
数奇屋造りの重要文化財、68年ぶりの保存修理工事
菅田庵及び向月亭は、江戸時代後期の1792(寛政4)年ごろ、治郷と弟の衍親(のぶちか)の指図により、松江藩家老有澤家の山荘内に建てられた数寄屋造の茶室、蒸し風呂を擁する建物です。1941(昭和16)年に、国の重要文化財に指定されました。
今回行われた保存修理工事は、前回1948(昭和23)年の修理から実に68年ぶり。担当したのは、神社仏閣や文化財に足掛け10年携わってきたベテラン、社寺建築・住宅部の中村国充。過去には、因幡国一の宮 宇倍神社(鳥取県)、国宝・出雲大社(島根県)などを手掛けています。
中村は、「文化財の保存・修理は新築工事に比べて時間が掛かりますが、コツコツやるのは自分には合っているようです」と語ります。
この言葉通り、まずは入念な調査から取り掛かりました。 しかし、約220年前の建築、68年前の修理をどのように行ったのか、正確な記録は残っていません。それでも先人の技術をできる限り踏襲する手がかりを求め、重要文化財である茶室の保存修理事例も探しましたが、見つけることができませんでした。
解体調査がポイント
数寄屋造りの建物は小規模で一つ一つの部材も小さいものが多く、元の部材を残して繕うことが非常に難しいという特徴があります。結果としてオリジナルでない部分が多くなってしまうため、文化財に指定されるものが少ないのです。
中村は、これまでの経験から「文化財修復のポイントは解体調査にある」と確信。外見からは傷んでいる場所が特定しづらい文化財においては、現場での解体作業の際に、新たな修復個所が見つかることもままあるそう。また、解体は数寄屋造りを専門としている大工さんが行いますが、解体と組み立てを分けてしまうと、どのような状態で組んであったか分からなくなるため、「絶対にしてはならない」と言います。本現場でも、解体から修理、組み立てに至る一連の作業を数寄屋大工が担当しました。
1つのアイデアがひらめく
今回、苦労したのが材料の調達でした。庇の垂木に使われていたのは、なんと25種類もの皮付きの丸太。サカキ、ネジキ、ツバキなど、通常は建築物に使われない種類の木も多く、材木店に問い合わせても、調達の目途が立たないと言われてしまいました。
途方に暮れていたところ、1つのアイデアがひらめきます。
「この建物の前回の大規模修理は昭和23年。戦後の混乱期で材料調達には苦労したはず。ひょっとしたら、裏山に生い茂っている木を使ったのではないか」。「数寄屋建築自体、わびさびの精神で面白い材料を使うこともある。建築当時もそういう考えがあったのではないか」。
そこで、大工さんと一緒に敷地内の裏山に入ってみたところ、ほとんどすべての種類の木を調達することができたのです。
最高の保存修理工事
素屋根の設置・解体、屋根の葺き替え、内部の造作工事、建具の修理など、さまざまな工程を経て、2019年6月、保存修理工事が無事に完了。11月23日・24日には、竣工披露を記念した茶会が菅田庵で開催されました。
工事を振り返って中村は「お客様と山に入り、気に入った木を選ぶ。そして、木の乾燥期間にいろいろな打ち合わせをする。時間は掛かりますが、建物をつくるとは、本来そういうことなのではないかと思います。ものづくりの原点に立ち返って、最高の保存修理工事ができました」と語ります。
今後もこの貴重な建物が、多くの人々に愛され、次の時代に受け継がれていくことを願います。
記載している情報は、2019年12月17日現在のものです。
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