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暮らしを築く・社会を守る

挑戦のシンボル 『国立代々木競技場』

挑戦のシンボル 『国立代々木競技場』

暮らしを築く・社会を守る挑戦のシンボル 『国立代々木競技場』

戦後日本の復興を世界にアピール

戦後の混乱から立ち直り、高度成長の道を歩みつつあった日本にとって、1964(昭和39)年の東京五輪開催は長年の悲願でした。
会場となる国立代々木競技場(当時の国立屋内総合競技場 主体育館)には、世界に誇る建造物としての芸術性はもちろん、1万5千人の観客を収容すること、その観客たちと競技者が一体になれる開放的な空間であることが求められました。
設計者の丹下健三氏が選んだのは、世界に類を見ないワイヤーロープによる「吊り屋根構造」。それは前代未聞の技術への挑戦でした。

流れるような曲線
流れるような曲線を組み合わせた独創的なデザインと構造を支えたのは、当時の最先端の建設技術

「吊り屋根構造」のスケールとは

1本の柱もない広大な空間を創り出すために、126mもの距離を置いて立てられた高さ40mの2本の支柱。その間をつなぐメインケーブルは直径33cm、重さ250t。左右にはクロス状にワイヤーロープを巡らせ、巨大な屋根を架けていく。そんな空前のスケールで、ワイヤーロープによる「吊り屋根構造」は設計されました。
前例のない特異なこの建造物の入札が行われたのは、大会まであと20ヶ月に迫った時期でした。

巨大な支柱の間に渡した、直径33cmのメインケーブル
巨大な支柱の間に渡した、直径33cmのメインケーブル

屋根が重みで変形してしまう、プロジェクトをゆるがす問題発生

「難工事であっても、技術を結集して後世に残る建物を造りたい」。そんな強い信念のもとに施工を請け負ったシミズ。しかし、越えなければならない技術的なハードルは予想以上に高いものでした。吊り屋根を支えるワイヤーに鉄板の屋根材を乗せると、重みに耐えられず屋根が変形してしまう問題が発生したのです。

当社は構造設計を担当した東京大学の坪井善勝研究室とともに、コンピュータによってその変形量を想定。当初の計画ではオールワイヤーで造られる予定であった構造のうち、メインケーブルから直角の方向に張ったワイヤーを「鉄骨」へと大胆に変更することで、史上空前の「吊り屋根」を「ものづくり」の立場から支えました。

30分の1の吊り屋根構造模型
30分の1の吊り屋根構造模型、メインケーブルから直角の方向に張るワイヤーを鉄骨に変更して問題を解決

持てる力のすべてで挑み、解決する

技術的な困難はそれだけには終わりませんでした。一つひとつ形状の違う屋根を取り付けていく繊細な作業では、風の影響を抑えるために直径4.4cmもの太いロープを採用。3次元のゆるやかな曲面にデザインされたスタンドの施工では、模型とコンピュータで正確な位置を算出しながらの慎重な工事が必要に。
新しい素材、機器、手法を用いつつも、常に手探りの状態で夜を徹しての作業が進められました。

こうして着工から18カ月、「常識で考えて不可能」と言われた短工期を守り、“世紀の祭典”のシンボルとなる体育館は1964年に完成。日本の建築界の英知を結集し、シミズもまた持てる技術力と情熱のすべてをそこに注ぎ込みました。

国立代々木競技場
1964年に完成した国立代々木競技場

歴史に名を遺す
国立代々木競技場

1964年10月10日、晴れ渡る青空のもと、
いよいよ世界最大のスポーツの祭典が東京で開幕。
困難を極め試行錯誤の末に完成したその体育館では、
連日、水泳競技の熱戦が繰り広げられました。

あれから半世紀。
50年以上の時を経た今も存在感は変わることなく、
スポーツをはじめコンサートなどの会場として、
国立代々木競技場は人々から愛され続けています。
私たちにとって、
それは挑戦の歴史の大きな記念碑でもあります。

国立代々木競技場
写真:村井 修

想像以上の価値を築く

建造物をゼロからつくりあげていく。不可能な建設を可能にする。
シミズがこれまで手掛けた数々のプロジェクトの中から、こだわりのものづくり、「課題×解決」の様子をご紹介します。