歴史建造物

大正時代から生き続けるれんが造の門 約112m先へ曳家(ひきや)で移築! 旧中野刑務所正門移築・修復工事

歴史建造物 大正時代から生き続けるれんが造の門 約112m先へ曳家(ひきや)で移築! 旧中野刑務所正門移築・修復工事

東京都中野区で、区の文化財に指定される旧中野刑務所正門(文化財名・旧豊多摩監獄表門)の移築・修復工事が進行しています。2025年7月下旬、建物を壊さずに丸ごと移動させる曳家を行いました。

関東大震災に耐えたれんがの門

小説家・小林多喜二をはじめとする高名な思想家たちが収監されたことで知られる「旧豊多摩監獄」。旧中野刑務所正門はその表門として、1915(大正4)年に大正期を代表する建築家・後藤慶二によって設計されました。後藤氏の唯一現存する作品で、関東大震災を生き抜いた貴重なれんがの建造物でもあります。
1983(昭和58)年、刑務所廃止に伴い、正門以外の建物は解体されます。正門だけが法務省の研修施設の一部として2017(平成29)年まで大切に使用されていました。2021(令和3)年、中野区はこの敷地一帯を小学校の建設用地として取得。同年、正門は中野区有形文化財に指定されます。区は正門の取り扱いについて検討を重ね、元の位置から約112m西側へ曳家によって移築し、保存、活用することを決定しました。

予定外の手掘り作業も

工事の主な流れは、まず、曳家に耐えられるように基礎を鉄筋コンクリートで補強します。そして、建物の変形を防ぐため、鉄骨水平ブレースを用いて内部も補強します。その後、正門を移築後の高さまでジャッキアップし、曳家を行います。曳家先で免震装置を取り付けた後、建物を修復し、工事が完了します。
基礎補強後、ジャッキアップする正門を支持するため、正門直下を掘削しながら計48本の仮受鋼管杭を設置しますが、ここで思わぬ問題に直面しました。工事を担当する東京支店社寺建築・住宅部、工事主任の和田克彦は次のように振り返ります。
「地盤の固さが原因で掘削用重機が使えず、急遽手掘りの作業に変更したんです。人力で1カ所を掘るのに1~2日、杭打ちに1日、すべての杭の箇所でこれを繰り返しました。非常に大変でしたが、協力会社の皆さんが本当に頑張ってくれました。」
予想外の困難に一丸となって対処してくれた仲間に対し、和田の言葉には感謝の気持ちが込められます。

現場のメンバー。左から伏見、西村、和田、河村
正門下を手掘りで掘削し、ベルトコンベヤーで地上に土砂を搬出した

正門の補強と並行し、総重量約672トンの門を動かすには、曳家経路と曳家先の整備も欠かせません。計4000m3の土砂を掘削後、30cm厚のコンクリート床を構築し、移築に備えます。こうして、約1年半の工事を経て曳家を迎えました。

珍しい100m超の曳家

曳家では、ジャッキアップした正門下にH鋼とレール、鉄製のコロ棒で構成された移動装置を設置。推進ジャッキを使い、1回につき約1mを30分ほどで押して門を動かします。この作業を1日で15~17回行い、7日間で約112m先の目的地へ運びます。
2025年7月下旬から8月上旬にかけて実施した曳家。期間中は中野区による一般公開も行われ、見学者が見守る中、作業が行われました。
「れんが造の建物を100m以上曳家するのは非常に珍しいケースです。正門には鉄筋が入っておらず、わずかな振動や傾きでひび割れや崩壊の危険があります。慎重な作業が必要です」という和田の説明からは、工事の技術的難度の高さが伝わります。
曳家中は建物の傾き3333分の1、水平位置±10mmといった管理値内に収まっているかを常に確認します。合わせて、進む方向が曲がってきたら軌道修正も図らなければいけません。強い日差しが照りつける中、作業員は集中力を切らさず、ハンマーでコロ棒の位置を少しずつ調整し、進路を正します。こうした確かな職人技が文化財の大移動を実現しているのです。

写真上:曳家に際し、約1.2mジャッキアップした正門。2基の推進ジャッキ(青い機械)の押し縮みによって建物を動かす
写真下:曳家に使用する装置の構成
コロ棒の調整に使用するハンマー

高い技術力と組織力を実感

れんが造も曳家も、和田にとって未知の連続でした。「当社の技術力と組織力を改めて実感しました」と語るように、社内のさまざまな部署から知恵と技術を結集して工事を進めてきました。
社寺建築・住宅部の先輩の「まずは試すことが大事」という言葉を指針に、基礎のコンクリート打設前には、敷地内の既存地下室で実物大の検証試験を実施しました。充填率の確保に向け、透明な型枠でコンクリートの流動状況を確認し、実施工に臨んだのです。

既存地下室
既存地下室でコンクリート打設の検証試験を行った
既存地下室
既存地下室でコンクリート打設の検証試験を行った

一つひとつのステップを確実に

曳家後は免震化、修復工事と続き、2027年2月に完成予定です。
「文化財修復では、史料と痕跡を基に検証を重ね、有識者の承認を経て、方針を決定します」と和田はその原則を語ります。物証が貴重な根拠となるため、破片一つでも見つかれば大切に保管します。施工者の判断で勝手に取り扱いを決めることはできません。曳家が無事に終わっても、緊張の日々が続きます。
「曳家はあくまでも一つの区切りです。工程全体を広く深く理解し、一つひとつのステップを確実に踏んでいく。そして後世に長く残る建物を引き渡したいです」と語る和田。
その言葉には、文化財を動かし、新たな場所で生かすことへの責任感と熱意が込められています。

工事概要

所在地
中野区新井3-37
発注者
中野区
設計
建文
工期
2024.2~2027.2
構造・規模

れんが造 1F

建築面積 95m2

延床面積 90m2

記載している情報は、2025年10月15日現在のものです。
ご覧になった時点で内容が変更になっている可能性がございますので、あらかじめご了承ください。

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