暮らしを築く・社会を守る100年後の土木遺産を目指す『余部橋梁』
観光の名所としても愛され続けた初代橋梁
JR山陰本線、鎧(よろい)駅と餘部(あまるべ)駅間にかかる余部(あまるべ)橋梁。かつては鋼製であったことから「余部鉄橋」の名で親しまれ、近代土木遺産にも選ばれた日本の名橋が、明治時代の建造から約一世紀を経た2010年に新しく生まれ変わりました。
改築を任されたのは、土木技術で確かな実績を持つシミズ。過酷な自然条件を克服しながら、史上類を見ない工法でプロジェクトは進められました。初代に勝るとも劣らぬ「100年後の土木遺産」をつくる、という終着点を目指して。
老朽化の進んだ「近代土木遺産」が念願の架け替えへ
架け替え前の鉄橋は、鉄骨を末広がりのやぐら状に組み上げた「トレッスル式」高架橋。この形式の橋としては東洋一のスケールを誇り、日本海を望むその雄大な姿は、鉄道ファンのみならず多くの人々を魅了し続けてきました。しかし、1986年に発生した列車の転落事故により、運行の規制が風速20m/sへと見直された結果、遅延や運休が大幅に増加。安定した列車運行が望まれる中、老朽化が進んでいたこともあり、2002年、ついに架け替えが決定されました。
地上40mでの自然との戦い
シミズの土木技術を結集し、「100年後の土木遺産」を目指した架け替え工事。当初からの課題は、日本海に臨む過酷な自然環境で工事を行うことでした。
特に冬は積雪に加えて激しい季節風が吹き、地上40mの橋の上での作業はまさに風との戦い、細心の注意が必要でした。この余部ならではの困難を克服するため、現場に「3次元風向風速計」を設置。得られるデータをリアルタイムで技術研究所に転送して風況の解析やシミュレーションを行い、安全な工事進行を実現し、安心な列車運行にも貢献しました。
日本の土木史上類を見ない「橋桁移動旋回工法」
過酷な自然条件に加えて、余部橋梁プロジェクト全体にかかわる最大の課題は、地元の方たちの大切な交通手段であり、観光資源でもある列車の運行休止期間をできる限り短くすることでした。そこで当社は、旧橋に並行して新橋を建設。接続位置が変更できないトンネルの入口までの間で線路位置を合わせるため、S字型の橋桁を製作し、それを油圧ジャッキなどで移動・旋回するという画期的な工法を考え出しました。
そのため、橋の全長310mのうち鳥取側の西端から約220mは直線ですが、トンネルと接続する京都側の東端部分の90mはゆるやかなS字を描く線形となっています。
可能な限り列車を止めないこと。
それが3年半にもおよぶプロジェクトの中で、常に最優先されるミッションだったのです。
長さ90m・重さ3,800tの巨大な橋を地上40mで移動
旧橋のすぐ隣で新橋を製作し、所定の位置まで移動させる。
それを余部橋梁で実行することは、地上40mの上空で長さ90m、重さ3,800tの巨大な橋を4m水平移動し、さらに5.2度旋回させることにほかなりません。スケールでも工法でも土木史上類を見ないこの工事を成功に導くため、精密な1/10モデルを使った模型実験を繰り返し、あらかじめ橋の動きを詳細に解析。まさに万全の備えで挑みました。
実際の工事では、水平移動、旋回移動を含む橋の移動と連結工事、軌道工事を含め、わずか26日という短い運休期間内に終了。いずれの工事も事前のシミュレーションの範囲で安全に進めることができ、難工事に対する備えはしっかりと実を結びました。
「100年後の土木遺産」へ
走り始める
着工から約3年半の歳月を経た2010年8月12日、余部橋梁はついに念願の架け替え工事を完了しました。生まれ変わったその姿は、一世紀にわたって人々に愛され続けたかつてのイメージを継承したスレンダーかつ直線的なデザイン。両側には防風壁が設置され、風速30m/sまで列車運行が可能となりました。防風壁は透明のアクリル製。今まで通り車窓から美しい日本海の眺望を楽しむことも可能です。
完成の瞬間、余部橋梁は「100年後の土木遺産」を目指して、新たな歴史を刻み始めました。
記載している情報は、2017年9月1日現在のものです。
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