社寺建築 始まった「見せる復興」 首里城正殿復元整備工事
素屋根内の様子
沖縄の歴史や文化を象徴する古城「首里城」は、幾度となく焼失と再建を繰り返してきました。当社は「昭和の大修理」「平成の復元工事」に携わり、今回、再び2019年10月の火災により焼失した正殿の復元整備工事に挑みます。
古城「首里城」
琉球王国は1429(永享元)年に尚 巴志※により創建されました。首里城はその王宮、王府として約450年間にわたり政治、外交、文化の中心として発展してきました。1879(明治12)年春に琉球王国が沖縄県となった後は、日本軍の駐屯地、各種の学校などに使われており、1930年代に大規模な修理(昭和の大修理)が行われました。その後、第二次世界大戦の沖縄戦にて完全に焼失。県民の悲願により、沖縄県の本土復帰20周年の1992(平成4)年に復元(平成の復元工事)され、2000(平成12)年に「首里城跡」として世界遺産に登録されました。
しかし、2019(令和元)年10月31日未明に再び火災に見舞われ、首里城正殿ほか8棟が被災しました。これを受け、政府は同年12月に「首里城復元に向けた基本的な方針」を策定。2022(令和4)年9月に当社JVが、首里城正殿の復元整備工事を受注しました。
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尚 巴志 14世紀初頭、北山、中山、南山と呼ばれる三つの小国家を統一し、琉球で最初の統一王朝を樹立した国王。
柱、梁の建方工事がスタート
当社が首里城の工事に携わるのは、「昭和の大修理」「平成の復元工事」に次いで、今回が3回目となります。2022年11月に着工し、国が建設した木材倉庫・加工場においてヒノキなどの支給材を加工。また、正殿復元整備工事の現場を風雨から保護する素屋根を建設し、正殿の柱を支える105個の礎石の設置など基礎工事を進めてきました。
2023年9月4日、工事の安全成就と永遠堅固を祈念する立柱式が執り行われ、1本目の柱が建て込まれました。このヒノキ柱は、直径40㎝、長さ7.2m、重量約500㎏の奈良県産大径材で、正殿1階中央部の御差床と呼ばれる国王の玉座周りに位置するものです。いよいよ正殿の骨組となる柱、梁を組み立てる建方工事が本格化。12月までに柱・梁513本、約300m3の木材から構成される躯体が組み上がり、焼失した正殿が徐々に形を取り戻していきます。
見せる復興、見られる復興
政府が掲げる今回の復元工事のテーマは「見せる復興」。一般の方が首里城復元整備工事の施工中の様子を見学できるよう、さまざまな工夫がなされています。正殿に隣接する原寸場の北側の壁沿いには、見学者通路が設けられ、壁の一部はガラス張りのシースルー。また、素屋根内に設けられた「素屋根見学エリア」から、刻一刻と状況が変わる、まさに「今しか見られない」工事の様子を見学することができます。
今回工事を担当するのは、首里城の「平成の復元工事」にも携わった川上広行です。
「立柱式を迎えることができてホッとしていますが、今からが本番でもあります。8月末から一般の方が施工中の様子を見学できる、素屋根見学エリアがオープンし、多くの方から見られながらの施工。政府が掲げる『見せる復興』は、私たちからすると『見られる復興』となるので、緊張感をもって地域住民の皆さんの期待に応えられるものを造り上げたいと思います」と語ります。
正殿復元整備工事が最盛期を迎えるのは2024年7月頃。約1年間にわたり、宮大工や朱塗りを行う塗装工をはじめ、瓦工、土居葺き工、石工などの匠80~90名が現場に入場する予定です。伝統木造建築の技術伝承を目的に、多くの若手職人も参画します。各工程で匠の技を結集しながら2026年秋の竣工を目指します。
工事概要
- 所在地
- 沖縄県那覇市首里当蔵町3-1
- 発注者
- 内閣府沖縄総合事務局
- 設計・監理
- 株式会社国建
- 工期
- 2022.10~2026.9
- 構造・規模
正殿:木造3F
建築面積 637m2
延床面積 1199m2
記載している情報は、2023年10月27日現在のものです。
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