第42回 古くからお付き合いのあるお客様 資生堂

化粧品のトップメーカーである資生堂が、2022(令和4)年に創業150年を迎えました。当社との関わりは大正時代に始まり、以来さまざまな工事に携わってきました。

住宅から工場建築まで

1872(明治5)年、海軍病院薬局長であった福原有信氏が、医薬分業を普及させるため官を辞して、24歳で銀座に洋風調剤薬局を開業したことから資生堂の歴史は始まります。

1916(大正5)年に後の初代社長・福原信三氏は化粧品部を独立させ、化粧品メーカーとしての一歩を踏み出しました。当社もこの頃から資生堂の建物を手掛けるようになります。1918(大正7)年に創業家の福原邸を設計施工で建設。木造2階建ての和館にパーゴラ(※)のあるれんが造の洋館が併設され、大正期の住宅らしく、家族それぞれに個室が用意されていました。

福原邸(1918年/東京府目黒町)。出典『彩色設計図集』。右側がれんが造の洋館

1923(大正12)年の関東大震災によって、資生堂は銀座の店舗、工場、倉庫すべてを失います。事業継続のため製造拠点を大阪に移すことになり、翌年、吹田工場を当社の設計施工で建設。当社は工場3棟と2階建ての事務所を、わずか3カ月の短工期で完成させました。

1924年に竣工した大阪吹田工場(写真提供:資生堂)

銀座の化粧品部では1919(大正8)年にギャラリーを開設し、若手作家や前衛芸術家に発表の場を与えてきました。1937 (昭和12)年に当社はこの資生堂ギャラリーを改装。床を鮮やかな市松模様に、照明を従来のペンダント式から埋め込み式に変え、明るい展示空間としました。

1937年に改装した資生堂ギャラリー(写真提供:資生堂)

  • パーゴラ
    フジなどのつる性低木を支えるために、庭や軒先に設ける格子状の棚

1世紀を超えるお付き合い

戦後は、1962(昭和37)年の資生堂会館、2000(平成12)年の東京銀座資生堂ビルと、当社による建て替えが続きます。赤いレンガ色が銀座を彩る東京銀座資生堂ビルには、高い天井の室内空間や縦横の線が強調された外観に、設計者リカルド・ボフィルが得意とした古典的なデザインが表れています。

そして、2020(令和2)年、スキンケア化粧品のグローバルサプライチェーンの拠点となる大阪茨木工場が当社の設計施工で竣工しました。大正期の吹田工場以来、当社にとって1世紀ぶりの大阪での工場建設となりました。

東京銀座資生堂ビル