第25回 神殿(三囲(みめぐり)稲荷内社殿模刻)

三野村利左衛門、渋沢栄一との縁

東京都墨田区向島、隅田川のほとりの閑静な杜に鎮座し、三井グループの守護神として崇敬されている三囲(みめぐり)神社(別名:三囲稲荷)。この内社殿は、1863(文久3)年に、二代清水喜助によって造営されたものです。
社殿(鞘堂)の内に安置されている内社殿は、間口185㎝、奥行き95㎝、高さ160㎝と小ぶりではありますが、全体に繊細で美しい彫刻や細工が施されています。
二代喜助は、この内社殿の造営工事で三井組に出入りしたことをきっかけに、三井組大番頭の三野村利左衛門(みのむらりざえもん)(※)の知遇を得ました。三野村は、内社殿の出来栄えと二代喜助の棟梁としての手腕を高く評価し、その後、三井組ハウス(後の第一国立銀行)(1872(明治5)年)、為替バンク三井組(1874(明治7)年)の工事も託しました。
さらに、この縁によって二代喜助は、三野村が当時、公私に渡って深い親交を結んでいた渋沢栄一の紹介を受けることとなります。 三囲稲荷内社殿の造営は、当社の経営基盤づくりの最大の支援者となる渋沢栄一との縁も結んだ意義深い工事と言えます。

  • 三野村利左衛門:1821(文政4)年生まれ
    幕末の三井家の窮状を救った才覚を買われ、後に大番頭となる。三井の銀行事業発起人の一人でもある。

社宝として末永く奉安

1935(昭和10)年、三囲神社の増築・補修時に、内社殿背部に当初の造営に携わった大工や職人の名前を記した墨書が発見されました。その筆頭に「棟梁清水出雲藤原清矩(きよのり)」の名があります。二代喜助のことです。
墨書の発見を機に、清水釘吉社長(当時)が、同寸同体の内社殿の模刻を制作し、神殿として本社に奉安することを決定しました。また、時を同じくして、清水宗家に伝わる、初代清水喜助が幼少時に彫ったとされる「大黒天像」を、当社の守護神として祭ることとなり、模刻が制作されました。
1936(昭和11)年4月22日、本社講堂に完成した内社殿の内に大黒天像が収められ、末永い加護を願う祭儀が、厳粛かつ盛大に行われました。
神殿は、新年の初めに行われる手斧始式などの神事の際に開扉されます。工事の無事と事業繁栄を願う神殿には、初代・二代喜助の技が刻み込まれているのです。(神殿・神事ともに非公開)

鳥居と柵は朱漆塗り、基壇は黒漆塗りの仕様

初代清水喜助手彫りの大黒天像(清水家所蔵)

1885(明治18)年から続く、当社の伝統的な
建築儀式「手斧始式」。奥に神殿が見える