第19回 歴史に残る建造物(その7)「国立西洋美術館本館」

東京・上野公園内に建つ国立西洋美術館本館は、近代建築の巨匠、ル・コルビュジエ(※1)が手掛けた日本で唯一の作品です。ル・コルビュジエの基本設計を受け継ぎ、実施設計を担った前川國男(※2)が、最もふさわしい人物として施工を託したのが、当社の現場主任・森丘四郎でした。

国立西洋美術館本館

所在地 :
東京都台東区上野公園内
基本設計 :
ル・コルビュジエ
実施設計・監理 :
前川國男、坂倉準三、吉坂隆正
竣工年 :
1959(昭和34)年
  • 1998(平成10)年に当社施工による大規模な免震レトロフィット工事(国内初)を実施
  • 2007(平成19)年に重要文化財に指定
  • 1 ル・コルビュジエ(1887~1965)
    近代建築の巨匠。世界複数国で作品を手掛け、建物のみならず都市計画にまで活躍の場を広げた。主な作品に「ロンシャンの礼拝堂」(1955年、パリ)、「チャンディガール」(1959年、インド)など。
  • 2 前川國男(1905~1986)
    昭和期に活躍した、モダニズム建築を代表する建築家。ル・コルビュジエに師事。主な作品に「国立国会図書館」(1961(昭和36)年、千代田区)、「埼玉県立博物館」(1971(昭和46)年、大宮市)など。

モダニズム建築の代表作

内観写真

国立西洋美術館は、実業家・松方幸次郎が欧州で収集した多数の美術品の収蔵・展示施設として、1959(昭和34)年に建設されました。モダニズム建築の代表作として名高いこの建物は、ル・コルビュジエが長年温めてきた「美術館構想」を初めて具現化した建物でもあります。その特徴は、コンクリート打ち放しの細い円柱群に支えられた正方形の箱型の外観と、2層分の吹き抜けを配した内部の美しい空間構成にあります。
前川と共に設計・監理に携わった建築家の坂倉準三は、「建築の施工の作業からくる日本的なきめの細かさは、仕事にあたった清水建設の現場担当者や関係工事担当各社の人たちに負うところが実に大きかった」と述懐しています。この工事でその手腕を振るったのが、コンクリート打設の名人とうたわれていた森丘四郎でした。

心を込めて施工に向き合う

森丘四郎(1906~1992)
富山県立魚津中学校4学年修了後、建築研究のためリヨン美術学校(仏国)建築科に入学。1928(昭和3)年から1930(昭和5)年までオーギュスト・ペレのアトリエで学ぶ。1933(昭和8)年清水組設計部に入社、後に現業へ転じた。1964(昭和39)年退職

フランスに渡り、ル・コルビュジエの師匠に当たるオーギュスト・ペレ(※3)の下で鉄筋コンクリート技術を学んだ森丘は、帰国後に当社に入社。以降、「日本相互銀行本店」(1952(昭和27)年竣工、2008(平成20)年解体)や「東京文化会館」(1961(昭和36)年竣工)など、前川國男の代表作品の施工を手掛ける中で、前川との信頼関係を築きます。前川は、森丘の技量への厚い信頼から、自分の作品を当社が施工する時は必ず森丘を現場主任として指名しました。
その一つであるこの建物に対する、森丘の深い愛情や熱意、洞察力は、彼が記した次の文章からよく伝わってきます。
「ル・コルビュジエ氏のこの素朴な設計―美術品を展示する素朴な箱といった感じのする美術館を、どんな感じに仕上げたらよいのだろうか。私の頭に浮かんだのは粗野で荒々しい中世紀のヨーロッパの田舎に見られたシャトウであった。しかし、小手先の器用すぎる私たちがそんな仕事をしても、出来あがる建物が感覚の乏しい偽りの多い建物になるだろうということが懸念され、(中略)せめてこの質素な木綿の着物を着た淑女に、几帳面な身だしなみと多少の品位を与えることが出来ないものか。これが、この美術館の図面を見て私が考え、施工しようとした方針であった」
2016(平成28)年7月、国立西洋美術館は7カ国17資産で構成される「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の一つとして、世界文化遺産に登録されました。日本の文化遺産を外国政府(フランス)が推薦するのは初めてのことです。

  • 3 オーギュスト・ペレ(1874~1954)
    鉄筋コンクリート造建築の先駆者として活躍した、20世紀の建築界を代表する建築家。主な作品に「シャンゼリゼ劇場」(1913年、パリ)など。