第16回 歴史に残る建造物(その4)「百五銀行山田支店」

1918 (大正7)年に竣工した百五銀行山田支店(三重県伊勢市)。この施工を機に、当社は百五銀行から大きな信用を得ます。
施工にまつわるエピソードを、三代目山田支店(現・伊勢支店)の設計を担当した名古屋支店の設計長・石川から紹介いたします。

戒めの石となった石柱

当社名古屋支店の6階には、ギリシャ遺跡にあるようなイオニア式のどっしりとした石柱が飾られています。実はこの柱、名古屋支店の中では「戒めの石」と呼ばれています。
もともとこの石柱は、百五銀行の初代山田支店のファサードを飾っていた6本の化粧柱のうちの1本でした。同支店は、イオニア式の壮麗な装飾を施した石柱が並ぶ、美しい建築様式の銀行店舗として知られ、伊勢神宮の参拝者が神宮とセットにして見学に訪れるほど、モダンで新しいデザインが人気を呼びました。
このように評判を呼んだ建物ですが、実は竣工間際の石柱のクリーニング時にトラブルが発生していたのです。
柱の石材は花崗岩で、そのクリーニングは、今でこそ簡単にできますが、当時は水洗いで汚れを落とした後、酸を使って洗浄していました。ところが、当時の工事担当者は、経験不足から水洗いをせずに酸で洗浄したため、石柱全体があたかも錆を帯びたような色になってしまったのです。

初代の百五銀行山田支店
威風堂々としたイオニア式のデザインは、銀行の安定した信頼感のアピールに絶好だったと言われている

会社の信用には代えられない

名古屋支店の設計長・石川智博と
支店社屋6階に展示している「戒めの石」

工事担当者は八方手を尽くしたものの、石柱を元の白色に戻すことはできませんでした。それを知った当時の出張店(現・支店)の幹部は、赤字を覚悟の上、お客様の了承を得て、石柱をすべて取り替えたのです。その姿勢がお客様の琴線に触れ、以後、当社は同行の本支店の大部分の工事を特命で頂くことになりました。副社長だった小笹徳蔵(故人)の回想録によると、当時の国家公務員の初任給が70円、総理大臣の月給が1,000円だった時代に、石柱の交換に要した費用は実に12万円。「会社の信用には代えられない」という大英断があったことが、そこにうかがわれます。
1953(昭和28)年にこの山田支店の建替工事を頂いた当社は、お客様の了解を得て化粧柱の一本を譲り受けました。以後、「失敗は、最大限に努力をして贖(あが)なえば、決して信頼を損なうことはなく、むしろ大きな信頼につながる」という小笹の遺訓を活かすべく、その言葉書きを添えて当支店に展示しています。