第7回 絵図で辿る三大洋風建築 「第一国立銀行」(上)

錦絵「東京海運橋第一国立銀行の全図」孟齋画

1872(明治5)年2月、銀座大火により焼失した築地ホテル館からバトンタッチされるかのように、その4カ月後、東京に再び洋風建築が誕生します。日本最初の銀行となる「第一国立銀行」です。
二代喜助の設計施工による第一国立銀行は、東京の新名所として人々に親しまれ、多くの錦絵や石版にもその姿を残しています。

設計施工は二代喜助

横浜や築地など外国人居留地の外に建てられた国内初の洋風建築であり、また初の銀行建築でもある第一国立銀行は、1871(明治4)年8月に着工し、翌年6月に竣工。わずか10カ月という短工期で完成しています。
和洋折衷の洋風建築造りは築地ホテル館と同じですが、大きく違う点は外国人技師の指導によらず、設計施工すべてを二代喜助が手掛けたことです。つまり日本人によって造られた最初の西洋館が第一国立銀行です。
建設地は海運橋のたもと(現在の中央区日本橋兜町)。当初は三井組の銀行として建設が計画されたものの、明治政府の政策により1873(明治6)年に第一国立銀行として開業します。初代頭取には渋沢栄一が就任しました。

額絵を社宝に

額絵「第一国立銀行」

写真の額絵は、1935(昭和10)年に蘐城鳳山識(※)の手により模写されたものです。
原作は1873(明治6)年2月に制作され、三井家の守護神を祀る三囲稲荷神社堂内(墨田区向島)に長い間掲げられていましたが、経年による傷みもひどくなったため、清水釘吉社長はこれを模写し清水組の社宝として永く残したいとの思いから、複製したと伝えられています。
額絵には、ベランダや窓の色鮮やかなステンドグラス、屋根に立つ二本の風見鶏(それぞれ「N」「S」の英文字と「き」「み」の平仮名の方位表示が記されている)など、当時の洋風建築のデザインを細部にわたって見ることができます。

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