福岡県久留米市役所のほど近くに、ひときわ瀟洒で美しい洋館があります。清水組の手で1933(昭和8)年に完成したこの建物は、株式会社ブリヂストンの母体となった日本足袋株式会社(現・アサヒシューズ)の創業者・石橋徳次郎の私邸として建設されたものです。現在は、門柱に「石橋迎賓館/ISHIBASHI MANSION」と記され、迎賓施設として利用されています。
福岡県久留米市
石橋徳次郎は自邸の建築に際し、設計を依頼した松田軍平(※1)の案内で、東京の目ぼしい住宅をくまなく見て歩きました。中でもスパニッシュ様式(※2)をことのほか気に入り、この建築スタイルの建物を松田に要望します。その施工者に選ばれたのが、当時、スパニッシュ建築を数多く手掛け実績を積んでいた清水組でした。
建物は約1万200m2もの広大な敷地に建ち、外壁の淡いクリーム色と屋根に配したスペイン瓦の青緑色との対比が実に鮮やかです。このスペイン瓦は円柱を半分に割った形をしており、それらを下から上へ順々に重ねた屋根は、“波”を想起させる美しい形状を有しています。また、テラスに面して設けられた放物線アーチを描く開口部や、小さな穴が縦横に並ぶ装飾的な通気孔など、スパニッシュ様式ならではの意匠がそこかしこにバランス良く配されているのが印象的です。
当社に残されている『工事竣功報告書』によると、工期わずか1年の工事に従事した人員は延べ1万4,233人。建物は、耐震耐火構造や外壁の木造二重壁により耐熱性・耐寒性が確保され、また、当時では珍しい温水自然循環式暖房や給湯設備も設置されるなど、最先端の邸宅であったことがうかがえます。
プール付きの庭から見た外観
石橋邸を手掛けた松田軍平には、このスパニッシュ建築を語る上で欠くことのできない人物との出会いがありました。その人物こそ、設計技師として当時の清水満之助店に入店した後の副社長・小笹徳蔵(※3)です。
小笹は、関東大震災の翌年の1924(大正13)年11月に欧州を視察。その折にスパニッシュ建築の美しさに魅了され、帰国後、スパニッシュ様式を存分に活かした作品を数多く手掛けました。松田は小笹の学校の後輩に当たり、また一時期、清水組に在籍していたこともあり、「小笹氏には先輩として大変に面倒を見てもらった」と後に語っています。
その松田は『石橋邸新築に就いて』と題し、住宅設計への思いを次のように記しています。
「従来の住宅は往々にして客本位として作られたものが多い様ですが、本来の目的は日常使用さるゝ家族を主として計画されねばならぬと思います。(中略)理想的の家を作るには建築主と設計者と施工者の完全なチームウォークが何より大切なことと思はれます。清水組始め設備工事の方々が誠意を以て施工完成された事を私の衷心より感謝する次第です」(原文ママ)
当社には、明治から大正、昭和期に、多くの邸宅を手掛けてきた歴史があります。その代表作の一つであるこの建物は、“理想の家”としての役割を終えた今も、迎賓施設として大切に使われ続けています。
名古屋高等工業学校からの新入社員の歓迎記念写真(1920(大正9)年撮影)。前列右端が小笹徳蔵、その左隣が松田軍平