木の可能性を探る

木の可能性を探る Vol.22 路網づくりで林業と山林の未来に“道”をつける

2013年2月18日

Vol.22 路網づくりで林業と山林の未来に“道”をつける

銘木として名高い吉野杉の産地、奈良県の吉野林業地。その山林を所有し、林業を営む岡橋さんは、伐採に使う機材や伐り出した木材などを車両で運搬するための作業道である「路網(ろもう)」づくりに取り組んでいます。路網づくりを始めた理由を語る岡橋さんの言葉には、吉野の森と林業を未来に残していくという強い想いが込められていました。

樹齢100年、200年の大径木が息づく

吉野の森は500年続く林業地で、先人たちが築いてきたこの地ならでのノウハウがあります。吉野の林業では、1ha当たり1万本の苗を密植(一般には1ha当たり3,000~4,000本)します。その後は除伐(成長が悪い木などを除くこと)しながら、木の生長に合わせて間伐を何度も繰り返していきます。これを多間伐といいます。こうすることで、木の根元と先が同じ太さで、節の少ない、緊密な年輪とまっすぐな木目を持つ優良大径材に仕立てていくのです。

間伐で残した木々の最終伐期は、一般的には40~50年とされていますが、吉野ではこれを80~100年に引き延ばす長伐期施業を行います。さらに木の生長によっては、100年以上の樹齢になるようじっくりと育てていきます。ですから、吉野には樹齢100年、200年といった優良な大径木がたくさん息づいているんです。

約30年をかけて78,000mの路網を整備

私が林業に携わり始めた1980年頃、吉野では切り出した木材をヘリコプターで搬出するのが一般的でした。ヘリでの輸送費用は高いのですが、当時は国産材の価格が高かったので採算が取れていました。しかしこの頃から、建物内外に木材を用いる意匠や和室、日本家屋そのものの需要が減少し始めていました。また、良質な輸入材が安く手に入るようにもなっていました。そうした状況を見て、「いくら高品質の吉野材であっても、将来はコスト的に通用しなくなるのではないか」という危機感を抱きました。

そこで取り組んだのが、林業の修業先で知った路網を吉野に持ち込むことでした。ただ、弟と挑んだ最初の道づくりは、途中で大規模な崩落が発生して失敗。吉野はどの山も急峻なので、無理に道をつくろうとすると、山が崩れてしまいます。ヘリでの集材が主流になったのも、急傾斜地が多すぎて林道整備が非常に困難だとされていたからです。 そんな折り出会ったのが、高密度の路網づくりを実践していた大橋慶三郎先生でした。先生がつくった路網を目の当たりにしたとき、「これこそ吉野に最もふさわしい作業道」だと実感、すぐに先生に弟子入りしました。そして、再び路網づくりに挑戦。以来、少しずつではありますが、約30年をかけて、所有林に78,000mの路網を整備してきました。

約30年をかけて78,000mの路網を整備
吉野の森は500年続く林業地で、先人たちが築いてきたこの地ならでのノウハウがあります
間伐で残した木々の最終伐期は、一般的には40~50年とされていますが、吉野ではこれを80~100年に引き延ばす長伐期施業を行います

路網でコストダウンを図り、労働環境も改善

私の所有林では、地形に合わせて高密度に路網をつくることで、ヘリでなければ無理だと思っていた急斜面からの大径材も、2tトラックで搬出しています。搬出経費はヘリによる集材の4分の1になりました。また路網のおかげで、必要に応じてこまめに、安全に山に出入りできるので、作業者にとっても労働環境の改善につながっています。今後、この路網をさらに整備・延長していけば、「こんな木がほしい」と言われたら1本からでも調達できるような、多様なニーズに応じた林業も実現できるでしょう。

こうしたメリットとともに、大橋先生から学んだ路網づくりを、これからは私が教え、伝えていく番だと思っています。微力ながら最近では、路網づくりに関心を示してくれる人たちに講演や研修、実習なども行っています。そうして、若い頃の私のように1人でも多くの人が実際に道づくりを始めていく。それを見た人が自分もやってみたいと手を挙げる。その広がりが、吉野だけでなく、日本の林業を元気にし、山林を守っていく手立ての1つになると期待しています。

路網でコストダウンを図り、労働環境も改善

これからの林業は間伐材の利用促進が鍵に

戦後、政府の拡大造林政策によって、経済価値の高かったスギやヒノキの人工林がどんどん増えていきました。しかし、国産材の価格が低迷する現在では、伐採しても採算が取れないために手入れされず、荒廃している山林もあります。これでは当然良い木は育ちませんし、台風や大雨によって土砂災害を起こしやすくなったり、生態系へ影響を及ぼす可能性もあります。一方、採算を取るために、1回限りの林道をつくり、一気に伐り出して、大量出荷する方法もありますが、この方法ではその後15~20年は伐れる木がなくなり、山が枯れてしまいます。

こうした事態を解決するには、“間伐材の利用”が1つのキーワードになると思います。間伐材で採算が取れれば、コスト的に山の手入れが継続できるからです。最終的には質の良い木を収穫できるようになるでしょう。間伐材の利用促進に向けては、間伐材を使った建材や家具の開発や、木質チップにしてバイオマス発電に利用する技術の開発などに、すでに動き出している地域や自治体もあると聞きます。今後も続く輸入材との競争を考えると、日本の林業全体で、間伐の必要性と間伐材の新たな用途開発の重要性を広く伝えていくことが急務だと思います。

これからの林業は間伐材の利用促進が鍵に

プロフィール

岡橋 清元(きよちか)さん 清光林業株式会社 取締役会長

岡橋 清元(きよちか)さん

1949年、奈良県橿原市生まれ。岡橋家は江戸中期から吉野の森で代々山林を経営しており、清元氏はその第17代目。現在も吉野林業地で約1,900haの山林を所有する。

大学卒業後、修業先の岐阜県の林業会社で機械化された近代林業を学ぶ。1980年、大阪府の専業林家・大橋慶三郎氏に師事し、以降同氏の指導のもと、吉野の所有林で路網づくりに取り組み始める。

2010年、林野庁の「路網・作業道」委員会の委員に就任。2012年、第51回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事において、農林水産大臣賞を受賞。あわせて同祭の林産部門でも、「高密度路網整備による高生産・高収益の林業経営の実現」で、天皇杯受賞者に選ばれた。

吉野林業地について

吉野林業地とは

吉野林業地とは、奈良県のほぼ中央から東に位置する川上村、東吉野村、黒滝村にある森林約69,000ha(このうち約54,000haが人工林)を指す。

3つの村の平均標高は600mから1600mで、急峻な山々が連なっており、周辺には日本の百名山に数えられる大台ヶ原山、大峰山、金峯山寺がある。年間4,000mmを越える雨量の多さはこの地の特徴で、吉野の森で質の高い木々が育つ理由の1つ。こうした地の利を活かして、密植、多間伐、長伐期施業による林業体系が確立されていった。
吉野材は緊密で美しい年輪幅を持ち、強度に優れた高級建築用材として、高い評価を受け続けている。

山守制度

吉野林業地では、古くからこの制度によって林業が行われている。山守制度とは、山林の村外所有者(山持ち)が、山林所在地域の住民の中から信用ある者を選んで、「山守(やまもり)」として、山の保護管理を委託する制度のこと。岡橋さんの所有林では、岡橋さんの会社が直営する山林と、山守さんたちが管理している山林がある。

岡橋さん、東京木工場を見学

木の良さへの認識が広まれば、林業地も活性化しますね

インタビュー取材の前に、岡橋さんには東京木工場を見学してもらいました。岡橋さんに感想を尋ねると、「機械でオートメーション化している分、人間の作業は大雑把なんだろうと思っていました。しかし、職人さんたちが工作機械を慣れた手道具のように素早く丁寧に扱い、どの作業もしっかりと品質管理している。これがゼネコンの精度の高さなんだなと実感しましたね」と返事が返ってきました。

そして、「林業は木材流通のいわば「入口」のようなもの。対して、東京木工場のように木工製品をつくる現場、あるいは販売する店舗はその「出口」と言えます。ですから、清水建設さんには、国産材や間伐材を用いた建築や家具などをどんどん提案してもらい、木の良さを広めていってほしいですね。そうして国産材への注目度が高まり、ニーズが増えれば、それはそのまま林業の活性化につながっていきますから」と、東京木工場への期待を語ってくれました。

橋さん、東京木工場を見学

取材を終えて

取材後、岡橋さんとの雑談となり、必ず聞いてみたいと思っていた質問をぶつけてみました。「なぜ岡橋家は約300年以上、17代にわたって、山林を持ち続けられているのか」。度重なる時代の変化を乗り越えてきたのにはきっと理由があるはず…。すると、岡橋さんは姿勢を正し、遠くを見つめながらこう答えてくれました。「先代がよく言ってましたね、本業を大切にしろと。だから、私もそれを守ってきましたし、なにより山守さんたちが吉野の森を愛し、大切に育ててくれたからでしょうね」。歴史に裏打ちされたその言葉に、吉野の森とともに生きる岡橋さんの誇りを強く感じました。