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ガーデニエール砧GARDENIER KINUTA終戦翌年、引揚者・被災社員のために建てられた清水建設砧社宅。地元では親しみを込めて「清水村」と呼ばれていた跡地の有効活用として計画された、近郊住宅街での民間事業としては例のない270戸の大規模賃貸集合住宅である。戦後の急激な環状八号線沿線の開発により、まとまった緑の少ない計画地一帯において、豊かな緑を眺められるよう中庭を取り囲むように3棟の住棟を配し、住棟と併設された商業施設に囲まれた緑豊かなオープンスペースを中心に、計画地全体を一つの街として形成することで、これからも地域の人々から愛され続けることを願った。ファミリー向け、DINKS志向といった従来のマーケティング手法に捉われず、ファミリー・シニア住戸とワンルームが向き合うというプランニングや様々な住戸タイプの展開による幅広い世代が同居する仕組みをつくり、建物の老朽化と共に居住者も高齢化を迎えるという、現代の集合住宅の抱える社会問題に対する一つの提案とした。井川 博英清水村(1946)17vol.69

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