二代清水喜助(藤沢清七)
越中井波(現・富山県南砺市井波)に生まれ、大工を志していた藤沢清七は、同郷出身の清水喜助を頼り江戸へと出ました。後に喜助とともに参加した江戸城西丸造営工事で、腕と働きぶりを見込まれ、後継者に選ばれます。
安政5(1858)年、鎖国が解かれた直後から開港場建設に参加。横浜の支店を任された清七は、今後の主流となるであろう洋風建築の技術習得に積極的に取り組みました。
安政6(1859)年、喜助の死を受けて、清七が二代喜助を襲名しました。